銀魂「THE FINAL」感想

銀魂が終わった。
原作が最終回を迎え、映画やコラボカフェやらが開催されたので色々行ってみた。


とにかく全てに懐かしさがこみ上げてきて、映画館でもカフェでもずっと泣いてしまった。


久しぶりに動く銀ちゃんを見たり、ドラゴンボールのパクリギリギリギャグやってたり、コラボカフェでplay流れたり風船ガム流れたり、なんやかんやの全てが子供の頃の自分とリンクして思い出される。


小学校でいじめられて辛かったとき、中学の部活が辛かったとき、人間関係がうまくいかなかったとき、毎日家に帰って録画した銀魂を何十周と見返していた。


銀ちゃんや土方、沖田くんのかっこよさにめちゃくちゃトキメいていた。少しでもかっこいいカットがあれば何回だって巻き戻して顔を舐め回すように見ていた。


漫画を買ってもらって、家に帰るまでに我慢できず車の中で少し見るけど、面白すぎて笑いがこらえきれず結局我慢することにした。


(よく覚えている、あれは銀魂18巻のowee争奪戦の回だ。オンラインゲームのやつで、長老からもらった薬草を神楽がその場で食べるくだりめちゃくちゃ笑った。)



ちょっとオタクな友達に手紙を書くときに、「〜だからよろしくゥゥゥゥ!!!」とか「まじヤバイ、どれくらいヤバいかっていうとマジヤバイ」とか使ってた。しゃべる時も使ってた。
その言葉を使うことがとにかく楽しかった。


銀魂を通して出来た友達とミニ小説みたいなのをメールで書きあって送り合ったりしていた。


土日は家に引きこもって、1日中銀魂の夢小説サイトを見漁っていた。


朝起きてまず「銀魂 夢小説 サーチ」で検索する。
自分の名前を入れるのは恥ずかしかったから、夢小説専用の名前を作って、その名前を入れていた。


始めて見つけたサイトがめちゃくちゃ好きで、
相手関係なく全員分くまなく見ていた。隠しR18ページも血眼になって探した。


高校になって久しぶりにそのサイトを見つけて、小学生の頃の感謝のメッセージを送ってみたら、まさか返信があってバカ程喜んだ思い出がある。


(ちなみに当時はパソコンがリビングに置いてあったから完全「背後注意」状態だった。)


見るだけでは物足りなくなってくるので、自分でも小説を書き始めるようになる。


最初は短編から始めて、都合の良い部分を切り取った妄想を書いたり、
ノート何10ページにもわたる、いきあたりばったりグダグダ長編を書いたりする。


今もそのノートは取ってある。読み返すと、めちゃくちゃ筆が走っていて、書いてて死ぬほど楽しかったんだろうな〜というのが感じられる。

子供の頃の自分は、銀魂からギャグを学んだといっても過言ではない。そういう人多いんでなかろうか。

「おィィィィ!!!」とかそういうセリフはちょっと寒いと言われるけども、ギャグの部分はめちゃくちゃしっかりしている。


ツッコミの間とか、ボケの突飛さとかタイミングとか、団体芸とか、めちゃくちゃお笑いのコツが詰まってて、結構コミュニケーションにいかされていたと思う。


銀魂を通じて得た友達、ギャグセンス、優しさ、創作に関わるきっかけなど、
銀魂から得たものがあまりに多くて、自分の人生と一緒に歩んでくれた作品だったんだなぁと思った。


映画やコラボカフェなどに行くと、たくさんの人が集まっていることに驚く。


同じ年ぐらいの人を見ると、この人たちも銀魂から得たものがあったり、時には銀魂に支えられてここまで生きてきた人生があったりするのかなぁと思うと感慨深かった。


きっと銀魂を見て同じ様に笑って、同じ様に感動して、同じ様に夢女子(または腐女子)になって生きてきた無数の人生があるのかと思うと、私にはこんなに頼もしい仲間がいるんだ、私は一人じゃないという心強さ、感動が湧き上がってきた。


銀魂の最後の長編など、少し離れてしまった部分はあったけども、やっぱり改めて見ると銀ちゃんかっこいいし、沖田くんかっこいいし、土方もかっこいい。みんなかっこいい。みんな面白すぎる。ファンでいさせてくれてありがとう、これからも空知ゴリラにたくさん金を落としたいと思いました。アレ、作文?

父親

最近やっと父親を許せるようになってきた。

一時は、何度も○してやると思っていた。
怒りが少し静まった頃には、彼の部屋の前を通るたび早く死んでくれと祈っていた。

でも父親は、相手を威嚇したり脅したりすることでしかコミュニケーションを取れない、可哀想な人なんだと最近思うようになってきた。

気性の荒い祖母から育てられて、彼女に対する恐怖もあったのかもしれない。そもそも祖母が怒りで相手をコントロールする人だから、父もまたそれを受け継いでしまったのかもしれない。

怒りでしか相手を動かせず、何かあればすぐ怒鳴り散らし物を叩く。話し合いなんか一度だってできたことのない、およそ同じ人間とは思えなかった父を、以前はただただ恐れ、憎んでいた。

妻は出ていき子供と一切口を聞くことがなくなった父に対し、時が経つにつれ、恐怖よりも、哀れみの感情が大きくなっていった。

私が父を恐れば、自分は価値のある人間だ、強い人間だといわんばかりにニヤニヤしていた。
でも、本当は恐れられることでしか自分の価値を確立出来ない、あまりにも人間として未熟な価値観の持ち主だっただけだ。

もう彼の死を願わなくなった。かといって長生きも望んでいない。

父親を憎まなくなるときがくるとは思わなかった。毒親本とか見ても、親を許せたり、一定の距離をはかっている人たちが信じられなかった。
大人なふりをするなよ、苦しませろよ、もっと憎みきれよと思っていた。

親とちょうど良い心理的距離をはかれるようになった気がする。

仕事出来ないやつ危険人物説

私の職場にめちゃくちゃ仕事が出来ない人がいる。

いつまでも社内ルールやシステムが覚えられなかったり、ひとつひとつの仕事がとても遅い。

人間関係もうまくいかず、取引先とはすぐ険悪になり、社内でも揉め事を起こす。
もちろん社内の評価は最悪なので、どんどん端の部署に追いやられていっている。

彼の特徴として、人の話を最後まで聞けない、意見されるとめちゃくちゃにキレる、立場が下の人には高圧的などがある。

おしゃべりで調子は良いので、第一印象は胡散臭い調子の良いおじさんという感じ。

仕事をするにあたって必要なことは、人間として必要最低限の基礎力だと思う。
人の話を聞くこと、物事を理解しようとすること、感情的なコミュニケーションを取らないこと、など。
これがあればだいたいどんな仕事でも無難にこなせると思っている。

むしろこれらが出来ていないと仕事なんかできるわけないし、そもそも普通のコミュニケーションを取ることすら出来ない。

コミュニケーションも遮断し、学ぶことも遮断していると、他人には散々迷惑をかけ、自分も結果を出すことが出来ない。

自分自身に精一杯になっているから、指摘されたら自分の弱さを隠すためにキレてしまうし、都合が悪くなるとこれ以上困難な状況にならないために、途中で放り出して逃げてしまう。このキレたり放り出したりするの本当にめちゃくちゃ迷惑すぎる。

仕事だけじゃなく、プライベートや家庭でもこんなのがいたら、まともな関係を築けるはずがない。

何か相談事があっても、まず話を理解しようとしないし、反対意見を言ったらキレる人間が身近にいるの怖すぎる。

他にも、キレたりはしないけど、めちゃくちゃマイペースに仕事をすすめる人とかも危ない。

自分の仕事のペースが、周りにどんな影響を与えているのか想像できていないのだ。

普通は自分のせいで周りが困っているのを見たら、多少なりとも悪いなという気持ちになるはずだけど、そういう人はだいたい平然としている。私は私のペースでやってますけどなにか?的な顔をする。
それって、基本的な想像力とか、思いやりとかがかけていることだと思う。

会社にはやばい人間がたまにいるけど、仕事ぶりから、多少判断できるんじゃないかなと思った。

ちなみにお前は仕事が出来ないと日々暴言を吐かれ虐げられている人は当てはまらないと思います。危険人物はあなたの上司です。

おじさんについて

おじさんとはなんなのだろう。

「不器用」という言葉を便利に使い過ぎではないか。
女を殴っても、暴言を吐いても、「俺は不器用なんだ」と言えば許されると思っていやしないか。

一家を支えるという義務、養わなければいけないという責任を、男たちにのみ要求して来た昭和の時代の負債だと思う。

責任や義務が重くのしかかる代償に、小さな世界でのみ通用する絶対的権力を手に入れた男たちの暴走である。

家庭内の立場が平等でなくなったとき、彼らのしょうもないプライドは肥大化する。

私の父親も50代だ。
女を見下し、謝罪が出来ず、言い返せなくなったら無視をする。

言い返せなくなり、無視をしたあげく当人を攻撃する姿は動物そのものだった。

その態度には、語彙力も誠意も内省力も客観性もない。

「俺は不器用だから」そう笑って彼の友達に話しているのを聞いたことがある。

結果熟年離婚をし、妻と子供は家を出ていった。

今一人で暮らす家で、それでも「俺は不器用だからしょうがない」と思うのだろうか。

加えて彼らは多様性が無い。幅広い価値観を受け入れられない。自分たちの生きてきた時代、価値観のみ肯定する。

効率性よりも自身のプライド経験、時代の価値観を優先する。年を取ると変化を受け入れられなくなって固執してしまうものなのだろうか。

あと話を聞くのも下手。
とにかく語りたがる。しょうもない経験を、価値観を、何者にもなれなかった人生を。
プライベートのみならまだ良いが、仕事において、相談しながら考えながら業務に取りかかれないのはあまりに迷惑である。

昭和の時代において、人の話を聞くという教育は必要とされなかったのだろうか。

パワハラ、セクハラが騒がれている昨今、おじさんたちはかなり気を張っている。(人もいる。)

「今はうるさいからね」

「昔は平気だったんだけどなぁ」

そんな人たちでも、パワハラ、セクハラ自体が悪なのではなく、あくまで訴えられるから気をつける、という意識でいるような気がする。

昔はパワハラセクハラが当たり前の時代だったからこそ、そのような言葉が出るのだろうが、
社員に怒鳴り散らすことで、一体何の生産性に繋がっていたのだろうか?
皆で一緒に残業をすることで何を得ていたのだろうか?
女性社員の体を触り、動物のような目で仕事に取り掛かる彼らは果たして人間だったのだろうか?

その行為が人を立ち上がれなくする残虐性に一縷の疑問も持たず、俺たちは根性で乗り切れた、と言う。

根性という言葉は、思考を止める。
まるで思考能力の無い人間、時代にとって、とてつもなく便利な呪いだった。

思考する必要がなく、時代の勢いに乗って生きていくだけで裕福な見返りを得られていた人たちからすると、今更およそ人間らしい思考を得ることは難しいことなのかもしれない。

加齢と共に自分たちもこうなっていくのだと思うと恐ろしくて仕方がない。


もちろんこうじゃない素晴らしい見識を持っている人がいるのも分かる。
ただ傾向としてこういう人間、思考によく遭遇することがある。

私の周りだけこうなのか?

サンリオ〜ミラクルギフトパレード感想〜

f:id:hourens:20200115070510j:plainラクルギフトパレードは良いぞ。(画像は別のやつ)

ラクルギフトパレードとはサンリオで毎日やっているメインのショーである。(ディズニーでいうところのエレクトリカルパレード的な)

始めて見たときの価値観揺さぶられた感覚は一生忘れられない。サンリオすごい。キティちゃんすごい。いや、キティ様すごい。

ショーの概要は、
サンリオの仲間たちが知恵の木(サンリオの真ん中にあるでかい木)の周りでわいわいやってると、途中で中二病三姉妹闇の女王がやってくる。みんなが大切にしてる知恵の木をボロボロにしちゃうけど、なんやかんやあってサンリオの仲間になるっていう王道ストーリーです。

闇の女王は登場時からグレてて、
「光が嫌い、笑顔が嫌い」
「3人だけで生きてきた」
「孤独というベール身にまとって」 
「光なんて何も感じない」
など中2全開の歌詞を90年代風の曲に載せて登場。

散々暴れて、サンリオの可愛いぬいぐるみみたいな子たちが、一生懸命みんなで守っていた知恵の木の光を奪った闇の女王。


パレードを楽しんでいたサンリオのキャラたちも
知恵の木の光を奪うなんて許せない!ひどい!ひどい!
と口々に言います。

ダニエルも「闇の女王を倒せ!」
そーだ!やっちまえ〜!!(私)

その時....

「待って!」

「倒すなんてやめて!」

目の前にキティちゃんが立ちはだかりました。

「誰だって暗い気持ちになるときもある!光を見たくないときも!」


「優しさと、思いやりがあれば、誰とでも仲良くなれる!」

ハッとした表情の女王。

そうしてみんなのサンリオパワーで闇の女王は光の女王へと変身を遂げ、みんな仲良くパレードしましたとさ...。


以上が大まかな流れです。


○このショーのすごいところ

なんといってもキティちゃんの懐の深さたるやいなや。

某テーマパーク主人公なら一度完膚なきままに叩きのめした後仲間にするところを、キティちゃんは敵の弱さを受け入れ、戦わずして仲間にしてしまったのです。

自分たちの大切なものを壊されて、それでも相手の弱さに寄り添うなんてこと、誰が出来ますか??


ヒーローショーの、「正義vs悪」という構図ではなく、「悪を認める」というやり方で彼女は平和を手にしたのです。

キティちゃんのセリフを受けた後の闇の女王のセリフ、

「信じることを諦めて生きてきた でももう一度微笑むことが出来るなら」

闇の女王は「光が嫌い」「3人だけで生きてきた」と言っていたけれど、きっと誰かを信じたかったんじゃないか。笑いたいときだってあったんじゃないか。

キティちゃん「誰でも持っている3つのハート(かわいい、おもいやり、なかよく)...闇の女王にもある!信じて!」

闇の女王はほんとに急にやってきて、嵐のように知恵の木の光を奪いました。

そんな相手ですら弱い気持ちを認め、
その心の中にある小さな良心、人を信じる心を信じてくれるキティちゃんがいたからこそ、彼女らはスリーハートを光らせることが出来ました。

なんという性善説...

暗い気持ちになっても良いんだよ、
悪いことしちゃったって、誰だって可愛くて、思いやりがあって、みんなと仲良く出来るんだよ!


キティちゃんのそんな声が聞こえてくるようでした。

「一緒にいるだけで幸せになれる それが友達の魔法」

つい先程会ったばかりの闇の女王に対してそこまで言うことが出来る。大人にはもう決して出来ない、時に暴力的な程の純粋キラキラパワーをもつキティちゃんだからこそ、理屈抜きに私達のハートに直接響いて来るのです。

ボートライドに50分も並んでイライラしてるお父さん、イライラしても良いのです。人間そういうときもあるのです。

インスタ映えを狙って、写真を取りまくる人の横で死んだ顔をするお友達、それで良いのです。そんな顔になるときもあるのです。

キティちゃん、ひいてはサンリオのキラキラした光の世界が、闇の女王だけでなく、私達の闇や弱さの存在を認め、受け入れ全てを包み込んでくれる。私達の汚い部分もキラキラした部分も認めてくれる。
そんな優しさを体現したパレードだからこそ、多くの人々を魅了し続けるのです。

だからこそ、どんな自分でもいられるサンリオの世界に何度だって行きたくなるのです。


○まとめ

演出のクオリティも、ダンサーのパフォーマンスも大人が楽しめる圧巻のショーです!

可愛くなりたいとき、キティちゃんに優しく包み込んでもらいたいとき、是非サンリオにいってみてください!

男の子も女の子も誰もが可愛くて、優しくて、仲良しになれる場所です😄