ガールズバーの面接に3社落ちた。
一社は体入後、条件について話したら不採用で、とのことだった。
容姿のレベルが達していないのかも、と思いスカウトにラインで写真を見せたら、
「この容姿だと厳しいですね」
と一言いただいて、大変ショックを受けてしまった。
自分から容姿のレベルをはかってほしい、とお願いをしているので、これだけハッキリ言ってくれたスカウトの方は悪くない。
ツイッターで、
「ガールズバーに落ちる人なんていない」
「ガールズバーは正直微妙なレベルの人もいる」
という意見を見た。
私はそのレベルにも達することが出来ないのだ、と思った。
ガールズバーを受けようとした理由は、友達が受かったから、自分もワンチャンいけるだろ、との簡単な考えだった。
友達も悪意ではなく、あなたならいけるよ、と言ってくれたし、最近男性女性問わず容姿を褒めてくれる機会がよくあったので、正直調子に乗っていた。
スカウトの方には日曜の夜言われたのだが、そこから気持ちがぐらついてしまって、あまり眠れなくなってしまった。翌朝の仕事は半休を取ってしまったぐらいである。
私は容姿を批判されることがめちゃくちゃ辛い。
まず自分の容姿が一般以上であるという自己認識があり、周りも最近は割りと褒めてくれるので、そうじゃない、と突きつけられるとものすごく辛くなってしまう。
また、学生時代は容姿のことで男子からずっとからかわれ続け、冷遇され続けていたので、容姿に関するトラウマ、ひいては男性に対するコンプレックスがある。
男性に認められる自分=価値のある自分、という価値観が根付いてしまっているように思う。
確かに一般的に多くの男性から好意を寄せられる見た目はあるが、
男性の好みは十人十色だし、色んな見た目の女性が、色んな見た目の男性と付き合ったり結婚していることに、大人になって気がついた。
付き合ったり結婚することは、見た目は案外関係なく、お互いの居心地の良さとか相性とか、人間的なもので決まっていく場合がたくさんあることも分かってきた。
大学4年のゼミ合宿で、私以外の3人は美女であり、明らかな格差を男性からつけられたとき、悔しくて眠れなくなった。
その日の夜、ダイエットについて一生懸命調べていた。
ダイエットやメイクや整形マッサージなどの甲斐あり、社会人になって男性と目が会うと、始めて笑顔を向けてもらえるようになった。
今は別れてしまった元カレも、たくさん世界一の容姿だ、と声をかけ続けてくれていたし、
マッチングアプリで会う男性、会社の男性から、容姿を褒めて貰う機会もあった。
アイドルの〜に似てると社交辞令かもだが言っていただけることもあった。
そうして自分の努力と関わってくれた男性女性たちのおかげで、少しずつ自分の容姿を心から可愛いと思えるようになっていった。
自分の容姿が好きだ。
実際は中の中のぐらいの容姿なのだろうが、それでも自分の気持ち的には、(恥ずかしい話だが)アイドルのような容姿と思って過ごす毎日はとても楽しかった。
そんな中でこのガールズバーチャレンジで大ショックをうけてしまった話である。
スカウトの方は色んな女性を見ているから、きっと判断は正確なんだろうな、と思う。
彼の意見が一般男性の代表のような気がしてしまっている。
だからスカウトに言われたこと、面接に落ち続けていることを鑑みると、一般以下の容姿なのかな、と考えてつらくなってしまった。
外に出るのが嫌になるぐらいショックを受けてしまった。
夜職としては厳しい、という話だったのかもしれないが、それにしてもショックである。
事実はともあれ、自己認識が良い方になってきていて、美醜にとらわれない価値観を形成できて来ていたのに、こんなことで築いた自信が崩れてしまうことが本当にもったいなくて嫌だ。
たくさんの可愛いよりも、たった一言厳しいですね、に振り回されて絶望してしまうことがものすごく苦しい。
検索欄が「ブス 〜」で埋まることがものすごく嫌だ。
自分の容姿レベルを一生懸命測っている時間が本当に無駄だし、そこからは何も生まれないのだ。
なぜ男性の価値観に振り回されてしまうのか、考えてみる。
一番は学生時代の体験だと思う。
そこそこノリがよく、怒ることが出来ないのでかっこうのイジりの的にされていた。
よく周りのかわいい子とわざわざ引き合いに出されていた。
例1「どっちがタイプ?」
「(かわいい子)に決まってるだろww筆者はww」
例2
「(友達二人で歩いてて)かわいい〜右の方」
例3
「(知らない男性とすれ違いざま)うわっブス」
そもそもいじられることがめちゃくちゃ嫌で、かわいい子はイジられたりしていなかった。蝶よ花よと扱われていた。
男性ってかわいい子にはそんな表情を見せるんだ、と思った。
私はこんな苦しみにいるのに、自分より頭が悪く何も能力が無い、ただ顔が良いだけの女子は無条件に愛される権利を持っていた。
どうしようも埋められない格差だと思った。
このときから美女に対するコンプレックス、人をナチュラルに見下すクセがついてしまっていた。
男性からの嘲笑の目線、冷たい視線は、私の全部を否定した。
人間としての価値をすべて否定した。
お前は愛される資格が無い、と語っていたように感じた。
見た目が良くなければ、頭の良さも、優しさも気遣いも、努力も、何も意味が無い。
そんなこと無い、と思えるようになったのは、結局見た目が良くなって、男性に褒められ、目を合わせて話してくれるようになったからだ。
冷たい態度を取る男性にも、気にせず明るく話しかけられるようになった。
認めてもらえたから、性格も明るくなった。
男性ときちんと話せるようになった。
中身をきちんと見てくれる男性がいるということも分かった。
だから私はこの容姿を手放すことが耐え難いのだ。
事実はどうあれ、自分の容姿が人並み以上と思えていないと、男性と話すことが出来ないのだ。
いつかまた人間として扱われなくなる日が来るかもしれないから。
しかし、自分より見た目が劣り、自分より体重がある女性でも自信を持って生きている方もいる。
意外と心の持ちようなんじゃないか、と思えてきた部分もあるのだ。そう信じていたいのだ。
また、自分より見た目が劣っている、などと言っているあたり、自分もまたルッキズムの価値観は少なからず持っているのだ。
大学時代に悔しくて泣きながら10キロ減らした体重は、元カレとの同棲時代を経てすっかり元に戻っていた。
写真を比べてみて、あの頃より見た目は変わっているが、そこまで悪いとは思わなくなっていた。
そして、この体重でもそれなりにモテた。
じゃ、これでいっか、と思えていたことは大変な幸せなのだ。
これでいっか、で過ごしたいのだ。これ以上美醜にとらわれ、他人と比べ続ける人生は私にとって幸福ではない。
事実よりも、自己認識次第で人生はいかようにも幸福になれると思っているので、こんなもったいない感情からは早く抜け出したい。
〜後記〜
20代前半のとき、一度も彼氏が出来たことないなんて、なんて恥なんだろう、と思っていた。
やっぱり自分には価値がない、と思っていた。
しかし、もうすぐ30になる年齢になり、そんなことは全くない、と言える。
周りにも30近くで処女なんてザラにいるし、(当人たちには別に何の問題も無い)50代で結婚してない人もいる。
年齢があがり、自分より若い人を見ると、全然焦らなくて良いよ、と思う。
しかし渦中の人たちは、そんなことわかるわけがない。上の年齢の人たちに言われたとしても、関係ないよね。
30代になった自分は、結婚できなくて絶望している自分になんて声をかけるんだろう。
〜追記20230620〜
記事を見返してみた。
美醜の好みがあることは当然だが、それによって馬鹿にしたり人間としてみないって、そんな奴らのほうがおかしくないか?
普通に最低な奴らに傷つけられ続けていたんじゃないか?もったいなさすぎる、相手にするまでも無いような奴らだったんじゃないか?
美しくなければ男性に認められないって、なんで男性の方が上なんだ?
認められてはじめて自分に価値が生まれるって、男性と私で上下関係が出来てしまっていないか?
そんなことなくないか?
どこかで男性の方が上だ、という意識があったから、ここまで怯えているのかもしれない。
他人を虐げられる力があるものは別に上じゃない。