おじさんについて

おじさんとはなんなのだろう。

「不器用」という言葉を便利に使い過ぎではないか。
女を殴っても、暴言を吐いても、「俺は不器用なんだ」と言えば許されると思っていやしないか。

一家を支えるという義務、養わなければいけないという責任を、男たちにのみ要求して来た昭和の時代の負債だと思う。

責任や義務が重くのしかかる代償に、小さな世界でのみ通用する絶対的権力を手に入れた男たちの暴走である。

家庭内の立場が平等でなくなったとき、彼らのしょうもないプライドは肥大化する。

私の父親も50代だ。
女を見下し、謝罪が出来ず、言い返せなくなったら無視をする。

言い返せなくなり、無視をしたあげく当人を攻撃する姿は動物そのものだった。

その態度には、語彙力も誠意も内省力も客観性もない。

「俺は不器用だから」そう笑って彼の友達に話しているのを聞いたことがある。

結果熟年離婚をし、妻と子供は家を出ていった。

今一人で暮らす家で、それでも「俺は不器用だからしょうがない」と思うのだろうか。

加えて彼らは多様性が無い。幅広い価値観を受け入れられない。自分たちの生きてきた時代、価値観のみ肯定する。

効率性よりも自身のプライド経験、時代の価値観を優先する。年を取ると変化を受け入れられなくなって固執してしまうものなのだろうか。

あと話を聞くのも下手。
とにかく語りたがる。しょうもない経験を、価値観を、何者にもなれなかった人生を。
プライベートのみならまだ良いが、仕事において、相談しながら考えながら業務に取りかかれないのはあまりに迷惑である。

昭和の時代において、人の話を聞くという教育は必要とされなかったのだろうか。

パワハラ、セクハラが騒がれている昨今、おじさんたちはかなり気を張っている。(人もいる。)

「今はうるさいからね」

「昔は平気だったんだけどなぁ」

そんな人たちでも、パワハラ、セクハラ自体が悪なのではなく、あくまで訴えられるから気をつける、という意識でいるような気がする。

昔はパワハラセクハラが当たり前の時代だったからこそ、そのような言葉が出るのだろうが、
社員に怒鳴り散らすことで、一体何の生産性に繋がっていたのだろうか?
皆で一緒に残業をすることで何を得ていたのだろうか?
女性社員の体を触り、動物のような目で仕事に取り掛かる彼らは果たして人間だったのだろうか?

その行為が人を立ち上がれなくする残虐性に一縷の疑問も持たず、俺たちは根性で乗り切れた、と言う。

根性という言葉は、思考を止める。
まるで思考能力の無い人間、時代にとって、とてつもなく便利な呪いだった。

思考する必要がなく、時代の勢いに乗って生きていくだけで裕福な見返りを得られていた人たちからすると、今更およそ人間らしい思考を得ることは難しいことなのかもしれない。

加齢と共に自分たちもこうなっていくのだと思うと恐ろしくて仕方がない。


もちろんこうじゃない素晴らしい見識を持っている人がいるのも分かる。
ただ傾向としてこういう人間、思考によく遭遇することがある。

私の周りだけこうなのか?